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ブログ 【一水四見(いっすいしけん)】

不幸とは、

世の中には、どうしようもない不幸に合うことがある。

八方塞がりで何をして良いのか?
まったくわからない状況に陥る。

同じどうしようもない不幸でも、自分が巻いた種によって不幸になった自業自得の者と、そんな不幸な目に合わなきゃならないほどの悪い行いなどしてこないのに、不幸になる者もいる。

同じような不幸にあっていても、自分が巻いた種による結果で不幸になったものは、決まって、自分がなぜ、不幸になったことを理解していない。
『なぜ、俺はこんな思いをしなきゃならないんだ。』そう思い、不幸の原因を他人のせいにする。

しかし、何も悪い行いをしてないのに、とんでもない不幸な目に合う者は、その不幸な状態を素直に受け入れて、自分のできることを少しづつやっている。
自分は不幸だなんて思ってもいない。

自分のことしか考えていない前者は、自分の愚かさを認めようともしないで、悲劇の人間として、人様の同情ばかり求めて、どんどん自分を追い詰めて苦しんでゆく。

『お前が今までやってきたことがわるかったから、今の状態になってる』

今の不幸な状態は全てお前のせいで、人様には何の落ち度もない。

それを素直に求めて、正しく生きる以外、その不幸から抜け出すことはできない。

我利我利亡者から、利他利他善者にならない限り、ずっと不幸はつきまとう。

不幸には、物理的不幸と精神的不幸がある。
物理的不幸は不幸になってしまったら受け入れるしかない。
しかし、精神的不幸は自分の有り様で変わる。

どんなに不幸な状況でも、不幸だと思っていなければ不幸ではない。

不幸だと思うのは、心の中で、『こんなはずじゃなかった』と自分の現実に絶望しているからだ。いくら絶望しても、今の現実を受け入れない、認めようとしないから、苦しくてどうしようもなくなる。

不幸とは、受け入れないから不幸なのだ。受け入れてしまえば不幸な心は無くなる。

不幸は認めても、認めなくても何も変わらない。
根本的物理的な不幸は何も変わらない。
物理的不幸は問題を解決しようとすれば少しづつでも良くなってゆく。

自分の不幸を認めようとしない者は、何も動こうとしない。物理的な不幸の原因を知ろうともしないで、不幸を認めず、ただ、ただ、うなだれて動かない。

自分が不幸だと認めた者は物理的な不幸の原因も素直に受け入れて問題が解決するように動いてゆく。

自分を不幸だと認めず、苦しんでいる者には、弱みにつけこみ、利用しようとする者たちが近づいてくる。

しかし、自分が不幸だと認めて、前向きに生きようとする者には必ず手を差しのべて力になってくれる者たちが近づいてくる。

後ろ向きな者は後ろ向きな人間が集まり世界を作る。

前を向き歩く者には同じような前向きな人間が集まり世界を作る。

善人には善人たちが自然と集まり、悪人には悪人が近づいてくる。同じ業(ごう)を持った者たちによって世界は作られている。

これを業界(ごうかい)という。

人生はどんな人間と付き合うかで良くも悪くもなる。

良い人間と出会い、付き合いたいなら、自分が良い人間になり、人を慈しむしかないんだ。



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