1. HOME >
  2. ブログ 【一水四見(いっすいしけん)】 >
  3. 不昧因果

ブログ 【一水四見(いっすいしけん)】

不昧因果

自分とは、相対、分別心から見えるものではなく、本当の自分は、三業(さんごう)に問えば自ずと見えてくる。

業(ごう) とは、行い。
身体の行い、口から出た行い、心で感じる行い、その全てが善悪に関係なく阿頼耶識の中に溜め込まれてゆく。

その溜め込まれた行い(業)は、未来の新しい行い(業)になる、縁と結びつくことによって。
阿頼耶識にはまだ、縁と結びつく前のたった今、行った行為や過去の行為が新しい業(ごう)になるための種子(しゅうじ)となって蓄積されている。

その業種子(ごうしゅうじ)こそ、本当の自分である。
相対で見た自分は、他人の目を通して見た自分であり、必ずしも本当の自分ではないからだ。

なぜなら、人が変われば自分に対しての見方も変わる。

そんな不確定な印象に本当の自分の姿を知ることができるだろうか?

ここに、3つの鏡がある。

自分鏡と他人鏡、そして法鏡。

自分鏡で自分を映して本当の自分を知ることができるだろうか?

自分のことは自分が一番わかってると言う人がいるが、自分ほど自分がわからないものはない。
自分鏡には、欲目でみた自分しか映らないので都合の悪いことは自分鏡には映らない。

他人鏡はどうだろう。
これも以外にあてにはならない。見るものの都合の良いように鏡には映るのでやはり本当の自分を知ることはできない。

最後に法鏡だ。
仏の鏡で自分を映すことで本当の自分を知ることができる。
釈尊が悟った様々な生きる教えの中に本当の自分を知る方法がある。

されが、『本当の自分は三業にあり』ということだ。
僕らは過去の行い(業)が様々な縁と結びついて新しい運命を作る。

良い行いをすれば良い運命になり、喜びの心を得る。善因善果、善因喜果。
悪い行いをすれば悪い運命になり、苦しい心に嘆く。悪因悪果、悪因苦果。

未来は自因自果で自業自得なのである。

過去の行い(業)を知れば、自ずと自分の本質が見えてくる。そして、未来の自分の運命も知ることができる。

人間は、過去の業によって作られていると言って良い。
今、置かれている環境も、状態も、全ては過去業(かこごう)が様々な縁と結びついて出来上がっている。

自分が過去の行いは消せない。阿頼耶識に全て蓄積される。縁と結びつくまで消えることはない。

たくさんの悪い行いを繰り返して習慣化した行いが強い業(ごう)となる。強い業(ごう)が未来の自分の運命に影響する。

その強い業(ごう)が悪い縁を引き寄せて結びつけば未来に起こることは察しがつくだろう。

過去の業は消せない。
しかし、過去の悪い業も縁と結びつかなければ運命に影響はない。

より強い力を持った業(ごう)から縁と結びつき運命を作るのだから、良い強い業(ごう)をひたすら行い習慣化すれば良い。

過去の悪業は消せないけれど、それより強い善業をすれば未来は変わるし、良い方向に風は流れる。

世の中のあらゆるものは、直接原因が合って、間接原因と結びつき、結果存在する。直接原因が業(ごう)であり、間接原因が縁である。

善業は良縁と結びつき、悪業は悪縁と結びつく。

今、楽しくて幸せなのは、過去に巻いた善業の種が良縁と結びついた結果であり、今が苦しくて不幸なのは、過去に巻いた悪業の種が悪縁と結びついた結果である。

全ては、自分が巻いた種により、未来、今が存在しているのだ。

今の自分を知りたければ過去の業(ごう)を見れば全てはわかる。

業(ごう)を知れば未来もわかる。

その人の今の行い(業)を見れば、その人の未来、来る運命もわかる。

時々、直接的に言えば喧嘩になるので、それとなく、忠告させてもらうけど、我執という色眼鏡でしか自分を見れない人間は聞く耳を持たない。

言った通りになってしまって悲しい思いをすることが実に多い。

因果応報という言葉があるけれど、人間は不昧因果することはできない。



コメント
name.. :記憶
e-mail.. (必須)
url.. (必須)

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):