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ブログ 【一水四見(いっすいしけん)】

我他彼此


『我他彼此』で世の中を見るから苦しみを生む。時代に流され、人に流され、いつも他人の顔色ばかりを気にしていきている。

仕事もまったく同じで、やたらと同業他社の仕事が気になってしようがない人がいる。
ライバル心なのか?
それはそれで成長してゆくには必要なことかも知れないが度が過ぎると自分を縛りつけるだけである。

『我他彼此』自分と他人と常に比べて、あれこれ考えて結局何が大事なことなのか?見失ってしまうんだ。

僕は人の仕事にはまったく感心はない。他人がどんな仕事をして、どれだけ稼いでいるのか?そんなことを勘ぐったりする気もない。

他人が儲かろうが、損しようが僕にはまったく関係ないことなんだ。

それが同業他社であっても。僕にはライバルという人はいない。競争意識を持つ人とも出会ったこともない。

ただ、同業他社の仕事にまったく感心を持ってないわけじゃない。どんなやり方をしたらうまくいくのか?など参考になることは全て吸収する。

要するに他人と自分を比べたりしない。比べたところで何の意味もないことを僕は子供の頃から知っていた。

良く、「となりの芝生は青い」なんて言葉を比喩的に使われるけど、これも『我他彼此』でとなりを見ているから生まれる感情なんだ。

同じようなものでも、人が持っているものは良く見えるし、欲しくなる。

でも、他人と自分を分別して考えなければ他人の持ってるものが良いものには見えないはず。

『我他彼此』をうまく利用しているのが実は商売の基本なんだよね。特に日本人は、『我他彼此』という考え方が他の国より強いので、物を売ったり、何かを流行させるには実に都合が良い。

他人と自分を明確に分別する日本人はいつも自分にはないものを他人に求めてしまう。

『我他彼此』はいつしか自分というものを見失って、自分がまったくわからなくなる。

いつも、他人の顔色ばかり見ていて、他人に流され、社会に流され生きてゆく。

仕事も同じ。とりあえず人と同じ仕事をしていれば安心する。そんなことを長年やっていると、『我他彼此』でないと仕事ができなくなる。

まあ、僕のように他人と自分を比べたりしないで生きていても、人間の性なんだろうね。何かとやはり比べてたくなるのが常。

そんな時は、過去の自分、未來の自分と比べるんだ。

まあ、これも『我他彼此』と言えば『我他彼此』なんだけどね。

ただ、流されるなら、自分が覚った真理によって流されていたいものだ。転がるなら、自分が覚った真理の石にしがみついて転がりたいものだ。

#らんほう唯心#阿頼耶識造房#一切唯心造#只管造仏#唯心不動仏#唯心守本尊#唯識



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