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ブログ 【一水四見(いっすいしけん)】

因縁生起

僕は、どんな状況下におかれても人を憎む心は継続しない。
人間だから、時には腹が立つことはあっても、いつまでも根に持って相手を憎むことはない。
『罪を憎んで、人を憎まず』
いつもそう考えて人と接している。

仏教では、すべては過去、現在の業(人間の行い)が因縁生起して今があると教えている。

相手が僕を傷つけて腹を立たせる行為をしたのも、相手の過去の業(ごう)が僕という人間と結びついて起こったことである。

僕が相手の言動に腹を立てるのもまた、僕の過去の業(ごう)と相手という人間と結びついて起こったことである。

相手は人を傷つける業(ごう)を過去から持って、僕は、その言動に腹を立てるという業(ごう)を過去から持っている。

そのふたりの業(ごう)が結びついたから、僕と相手はもめることになった。

業(ごう)とは、人間の全ての行いのことで、それが消えることなく全て蓄えられている。人間の深層心理の奥底に。

その過去の業(ごう)が様々な縁と結びついて、今、この瞬間の僕を作り出している。

良く、我というものを作り出して、『これが俺だ。これが私だ。』と思い込む。

仏教では我というものはない。ないというより、有るのか、ないのか、わからないようなものとされる。

自分とは、何か?

そんな問いかけに答えるなら、僕はこう答える。

『業(ごう)』
過去の業(ごう)、そして、縁と結びついて今、この瞬間の業(ごう)だと。

過去の業(ごう)は良い行為でも、悪い行為でも、最も力の強い業(ごう)から因縁生起する。
悪い過去の業(ごう)は、同じような悪い業(ごう)と結びつこうとする。悪縁となる。
良い過去の業(ごう)は、同じような良い業(ごう)と結びつこうとして、良縁となる。

過去の業(ごう)がどんな業(ごう)と結びつくのかは、今の自分自身の有り様、つまり、今、この瞬間の業(ごう)の影響による。

どんなに過去、悪い業(ごう)を積み重ねても、今、この瞬間、それを押さえ込むほどの良い行い、業(ごう)ならば、過去の悪い業(ごう)は縁起することはない。

だから、今、この瞬間を正しくいきようとするべきである。

悪いことが起きるのは、誰かのせいではなく、自分が蒔いた種。自分の過去の悪く業(ごう)が今の未熟な僕と結びついて起こっていると思えば良い。

悪事は、自分の過去の悪業せい。
良事は、誰か様の善業のおかげ。

人に腹が立ったら、自分の過去の悪業のせい。
その人の過去の業(ごう)がやらせたものだと思えば腹も立たなくなるだろう。

過去の業(ごう)を憎んでも、今、この瞬間生きている、その人を憎むことはない。

過去の悪業(ごう)は変えられない。
しかし、今、この瞬間の僕の業(ごう)は心次第で善業(ぜんごう)になる。

日々、善業(ぜんごう)を積み重ねてゆくことで、善業(ぜんごう)は善業(ぜんごう)と結びついて良縁となる。

まずは、許せないことから許してあげようと。

憎んだり、嫌ったりしてた人を受け入れてみようと。

そうやって、少しづつ、善業(ぜんごう)を増やしていこう。

そう思うのだ。



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