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ブログ 【一水四見(いっすいしけん)】

人の目を気にするな

人様からどう見られているのか?

気になって、気になって、仕方がない人がいる。

人から良く見られたくて、いつも人が自分を良く見てくれている姿ばかりを想像して、それが自分のあるべき姿だと思い込む。

そんなことばかり思っている人は自分というものをありのままに見ることができない。

他人の目を通しての自分しか見ていない。残念ながら、自分を説明するのに、他の何かを通してでないと説明できないものだから仕方がないと言えばしようがない。

私は、美術製作をしている乱仙法大です。

これって乱仙法大を説明しているように思えるかもしれないけど、乱仙法大そのものの説明にはなっていない。

美術製作というフィルターを通して乱仙法大を見ているだけ。個体としての乱仙法大(自分)を説明していない。

美術製作という縁と乱仙法大が結びついて、私が存在している。

だから、私という人間は様々な縁と縁に繋ぎ合わされて、ここに存在する。

我というものはない。我というものがないのに、他のものを通して我を知ろうとして、そこで見えたものを我だと思い込んでしまっている。

人に良く思われたい。
人から良く思われる自分でいたい。

なぜなら、それが自分の望む姿だからと思い込む。

我執は、苦しみを生む。
それはあるがままに自分を知ろうとしないからだ。

例えば、人に良く見られたいと思ってダイエットしてる女性がいる。

人に良く見られたいと思い気持ちが強ければ強いほど、その女性のダイエットは終わることはない。決して満たされないまま、これでもか?というくらいにダイエットし続ける。

人の目を通して自分を見ていると言ったけど、実際の人が自分をどのように見ているかはわからない。

この人は自分のことをきっとデブだと笑っている。だから、ダイエットして痩せればキレイだと思うはずだ。と。

まったくの妄想でしかない。だから、痩せても、痩せても、キレイだよなんて言ってくれるわけがない。

同じダイエットをするのでも、ありのままに自分を見れていたなら、目的が達成出きれば満たされる。

他人にどう思われたいか?ではなく、自分はどうなりたいのか?だ。

このサイズの服を着こなしたいからダイエットする。自分が着たいからダイエットして着るなら問題はないんだ。

他人の目を気にして何かをするのは苦しみを生むだけだし、目的を達成することはない。

人にどう思われようと、ここに生きているのは自分でしかない。それに見栄を張って装飾したところで他人が自分のことを見る目が変わることはないんだ。

人が自分に対しての見方が変わる瞬間があれば、それは相手の知らない自分の心を知った時ぐらいだ。

第一印象が全てという人もいるが、僕はそうは思わない。
第一印象などまったくあてにはならないし、印象は心のありようでどんどん変わる。

心をないがしろにして見た目ばかり見栄を張って装飾したところで、人の第一印象には修繕されないので無意味だと僕は思う。

見栄ばかり張れば張る程、終わりのない我執の禍に取り込まれてゆく。

人の目はあてにならない。
見栄を張れば張る程人の信用は失ってゆく。

人生とは、今まで溜め込んだ経験や先入観をひとつひとつ捨ててゆくことだ。

見栄というまやかしを剥ぎ捨てて、飾り立てた装飾をぶち壊し捨て去ることで、人の信頼を得る。

自分の中にどうしようもない劣等感があるなら、その劣等感を素直に受け入れればいい。
その劣等感も自分自身だと思えば苦しくもないし、無理して自分を変えようとは思わなくなる。



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