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ブログ 【一水四見(いっすいしけん)】

自分とは何者か?


我他彼此で世の中を見ないように生きていると、『自分は何者か?』もまったくわからなくなる。

自分と他人を分けて始めて、自分というものを都合の良いように認識する。


改めて、僕というものは何?

わかりません。

どうしても自分とは何か?を説明しなければならないのなら、

僕とは、過去に積み重ねてきた業(ごう)。それ以外に説明できない。

では、仕事は?

それもわかりません。
ただ、頼まれたことを自分のできる範囲以内で行い、その行いに対してお金を施していただく。

一言でいうなら、『作務業』『身施作務』

固定不変の職種には囚われてはいない。頼まれた仕事は仕事内容で断ることはない。断ることは許されない。

ただ、頼んでくださる人によっては、どんなお仕事でも断ることはある。

この人のために未熟ながらも力になりたいと思える人の仕事なら笑顔でやらさせていただくけれど、どんなに儲かる簡単な仕事でも、仏縁のない方の仕事は丁重にお断りします。

実際は、仏縁なき人は僕に仕事を頼んでくることはないし、もっと言えばこの僕と関わり合おうとはしない。

僕との関わりを持っていただける方は、仏性をそなえており、仏縁によって結び着かれている方なのです。

仏縁なき人々は僕に近づいてはこないし、近づいたとしてもすぐに離れて消えてゆくだろう。

僕は自ら人様を求めない。
仏縁があるならば、自然と結びつくものである。

僕の仕事もまた、仏縁によって与えられて、仏縁により生かされている。

僕の日々の業(ごう)もまた、仏縁によって結びつくように行われている。

僕が美術製作するのもまた、仏縁によって作らさせて頂いている。


僕とは、過去の様々な業(ごう)が仏縁によって生起した刹那滅の一瞬の様である。

僕は、唯一無二の刹那滅である。



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