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ブログ 【一水四見(いっすいしけん)】

作務

仕事に職種の分別をしない。

職業欄にどうしても職種を記入せよというならば、

僕は、『作務』と記入するだろう。

昔は、相対で物事を見たり、決めつけたりしていたので、『芸術家』だとか、『美術家』だとか、『リフォーム業者』だとか、『塗装防水業』だとか、やたらと分別していた。

そんな相対的の分別など誰かが決めた物差しに過ぎない。


そんな物差しに縛られていれば物事の本質は見えん。

たとえば、『美術家』ではなく、『美術作品製作をしている人』で良い。

『塗装業者』ではなく、『塗料を塗っている人』で良いではないか?

『作務』とは、仏道を歩む者の日常の作業全般をいう。


だから、僕の仕事は『作務』で良い。
固定的な仕事に執着していないし、それだけでお金をもらい生活したいとも思わない。

それに、集団組織の中で管理され、仕事をする能力は残念ながら僕にはない。

仕事は、仕事を頼む者と仕事をもらう者という相対関係に僕はうんざりしていて、サラリーマンを辞めた。

僕から言わせたら、仕事を頼む者と仕事をもらう者の分別はない。
言葉を変えれば仕事をくださる者を『お客様』という考え方をしない。

全ては同等の立場、立ち位置である。
たまたま、僕に仕事を施してくれただけに過ぎず、それに答えるために自分の出来る力を出し切って仕事をする。

そして、それに見合うお金をいただく。

僕が相手に仕事を施すこともあるし。
関係性はいつでも変わる。

お客様は神様ではない。
お客様も明日は僕。

いつ立場、立ち位置が変わるかわからないので、そんなことに執着しない。

一即一切 一切即一の関係性だ。


僕は常にタメ口しか言わない。
年上だろうと、サラリーマン時代は社長や上司にもタメ口だった。

僕の中で、社長と社員の分別はない。相対関係もない。

そんな人間は社会や組織、会社では嫌われる。居心地も悪かったし、居場所もなかった。

相対関係を築かないと人は孤独になる。誰も相手にしなくなる。

なぜなら、相対の中でしか自分を見出だせないのが人間だからだ。相対から離れればたちまち自分が何者なのか。わからなくて不安になる。

誰かを見て自分を知る。
本当の自分だと思い込む。

だから、僕のような相対から離れた人間は理解できないのさ。

あなたは何者ですか?

そう問われたら僕は胸を張っていう。

『そんなものは知らん。そんなことは過去世の僕に聞け』と。

相対から離れたら、自分なんてなんだかわからない。

それで良い。

わからないなら、何にも執着しないで生きられるじゃないか。

何者かもわからねえんだからさ。



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