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ブログ 【一水四見(いっすいしけん)】

物事を分けて考えてはいけない

物事を分けて考えてはいけない。

僕と君
今日と明日
昔と今
太陽と月
幸せと不幸せ
喜びと苦しみ
晴天と雨天
戦争と平和
美人とブス
イケメンと不細工
スレンダーとデブ
男と女
長身と低身
金持ちと貧乏
勝ち組と負け犬
既婚者と独身者
高学歴と低学歴
ハゲと剛毛

これは全て劣等感が巻き起こす二極化性だ。ふたつに分ける必要だっなどないのに、自分我を正当化したいが為に物事をふたつに分ける。

我の強い者は自分の劣等感を隠すためにふたつに分けた片方を過剰なほど馬鹿にして茶化す。

我の弱い人もまた、物事をふたつにわけて自分の劣等感に苦しむ。落ち込み自分が許せなくなる。

物事をふたつに分ける必要などない。

なぜ、僕と君とわけて考えなくてはならないのか?

君は僕の心が作り出した現象に過ぎない。
例えば君にイラついたとしよう。

それは君の行動にイラついたのではなく、君の行動に対してイラつく僕の心が存在したからだ。

それは君の行動に問題があるわけではない。なぜなら、その君の行動にイラつかない人もたくさんいる。

たまたま、僕が君の行動にイラついたに過ぎない。僕の中に君の行動に対してイラつく業(ごう)があるからだ。

だから、僕の心がイラつく業(ごう)を縁起させたに過ぎない。

君の行動に対して非難したりするのは筋違いではないか?

僕の心が作り出したイラつく感情。それを僕と君にわけて、君の行動が悪いというのはいささか傲慢なんだよね。

僕と君は分けて見るべきじゃない。
僕が見ている君は僕の心が作り出した君でしかない。
そこに生まれる感情は全て僕の心が作り出した印象なんだな。

全ては自己責任において感情は生まれているわけで、僕の心のフィルターを通してのみ君を見ることはできない。

それは僕にとっては君をありのままに見ていて正しく映る姿だけど、それは僕以外の人が君を見れば僕とはまったく違う見方に映る。

物事を見るということは自分の心が感情を作り出して認識することだ。

僕にとって正しいことも、僕以外の人には間違っていることもある。

人の数だけ見方があり、人の数だけ感情が生まれる。

真実はひとつであり、同時に、無限の数だけある。

一切唯識造 一切唯心造



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