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ブログ 【一水四見(いっすいしけん)】

仏曆2564年 元旦 【 不昧因果 不落因果】

【不昧因果 不落因果】
仏曆2564年 元旦

人間は、自分以外の人間のこと。社会の有り様のことなどは因果律、因果応報により成り立っていることは理解している

しかし、自分にふりかかる災いやできごとは全て因果律、因果の道理により起こってることを否定したがる。
冷静に考えればわかることなのに、自分のことになると因果を眩ましてしまう。

強い我欲が心を支配している間は、因果を眩まして、自分は因果応報とは無関係だと特別ししてしまう。

我欲は盲目にしてしまう。いくら因果を眩まし、自分よがりになろうと、因果の道理から離れることはてきない。

因果律は世の常である。
自分ひとりは特別なんてことはないのです。

良い果報が今、届けば、それはあなたが過去、過去世において、善業を積み重ねてきた結果。
悪い果報が今、届けば、それはあなたが過去、過去世において、悪業を繰り返してきた結果。

今、目の前にある運命は全て自分が過去、過去世において行ってきたことの報いでしかない。

運が良い、運が悪いのではなく、過去、過去世の生き方、行いが良いか、悪いかである。

運や迷信などはただの気休めであってまったく根拠はない。しかし、根拠はなくても気休めとして心のよりどころにするのは良いことだ。

しかし、良い人生をこれから歩きたければ、良い行いを積み重ねて徳を積む以外に方法はない。

今が苦しくても、今、良い行いを積み重ねて徳を積むことで未来は良い方向に変わる。これが因果律、因果の道理なのだ。

僕らは、因果を眩まして生きてはならない。他の人間の因果はわかっても、自分の因果を眩ましてはならないということだ。

誰も因果から離れることはできない。

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