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ブログ 【一水四見(いっすいしけん)】

因縁生起

人間は愚かな生き物だ。

いつも、自分の都合の良い解釈をして物事を歪めて見ている。

神様という存在を認めてしまうと様々な災いなどの悪いことを全て神様のせいにしてしまう。

初期仏教では、神の存在を認めていなかった。
それは、因果律によって、我々の運命は決まることを体感させるためなんだろう。

因果律を体感し、理解できたものが神の存在を認めることは間違いじゃない。

しかし、因果律を理解できない人間が神という絶対神の存在を信じたら、とんでもなく恐ろしいことになる。

この世あらゆるものは、因果律により成り立っていて、いかなる状態になろうと因果律からは逃れられない。

それがどんな高僧であっても、不落因果であることはない。

我々は因果律の渦巻きの中をグルグルと回り続けている。

因果律を理解できない人間が絶対神の存在を信じると因果を眩ますことになる。

自分は神の子供だと錯覚して、因果律を否定するのだ。

我々を形成しているものは、過去世の自分から相続された業が縁と結びつき、現世に人間として存在している。

けっして、神によって作られたものではない。

少なくとも、今、人間として生まれてきて50年も命がつきることなく生かされているのは、過去世で、善業(ぜんごう)を積み重ねて徳を積んできたからだろう。

もしも、過去世で悪業三昧して人を苦しめて生きたなら、地獄道、餓鬼道、畜生道に生まれているはずだ。

次の世にどんな生まれ変わりをするのかは、今の自分の行いで決まる。

だからこそ、人を傷つけたり、悲しませたりしてはならないし、ひとつでも多くの善業を行い、徳を積むのだ。

善業が習慣化した状態を徳という。
悪業が習慣化ひた状態を罪という。

罪が多ければ、地獄、餓鬼、畜生道に生まれ変わり、徳をたくさん積んだものは、天界、人間界に生まれ変わる。

我々は、天界、人間界、阿修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の6つの世界をグルグルと輪廻している。

六道輪廻を繰り返す。

それは、神という絶対神が作り出した世界ではなく、全ては業縁によって作りだされた世界であり、因果律によって支配された世界である。

因果律を操るのは絶対神かもしれないが、それは因果律をちゃんと理解して身体の中に溶け込んでからで良い。

因果には自分は落ちないと因果を眩ましているうちは神の存在は必要ない。



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